
iTunesU がすごいよ。未来の世界みたい。
new years eve の君へ
leave me alone.
déjame en paz.
houtteoite.
ひとりになりたい

今日は『ヒミズ』
園子温監督。今までと、少し違う感じ。うまく言えないけれど。
でも、映画の後、世界と切り離される感覚はいつもと同じだった。帰り道の私は、いつもより厚い、透明のベールで覆われた。世界に迎合する必要のない私だった。ベールの中の私は、誰にも何にも影響を受けない、ほんとうの私。
茶沢さん(名前の響きがいいなと思った)の行動や言動はふつうではないけれど、何度も、愛おしく思えた。その他の登場人物たちもいつもの園組の役者たちで、作品にとても合っていた。
まともであることそうでないことについて、思った。”まとも”という言葉は、”多数派”という言葉を、”正しいこと”と、多数派の人たちが都合よく置き換えただけの気もする。クズな大人がたくさん出てくるし、殴られたり泣いたり大声をあげたり刺したり感情剥き出しで心はざわざわするけれど、私は現実世界で出会う人たちより、この物語の登場人物たちに惹かれる、なぜか。私には、ふつうの人たちの方が、嘘くさくて、こわい。
“君が死んだら…この先悲しくてやってられません”
このときの茶沢さんはたまらなく愛しかった。
須賀敦子さんの本を読むといつも、社会や現実や悩みと切り離されて、ニュートラルな気持ちになれる。
男友達から「なんかあった?」と電話がかかってきた。「んーあれから膠着状態だよ」と答えた。「なんでそう思ったの?」「なんか、ピーンときたんや。」
それから、他愛もない話をいろいろした。気付いたら1時間経っていた。
「じゃあ僕今から”篤姫”見るわ。」「篤姫?」「うん、篤姫。宮崎あおいの。」「あれ、今篤姫やってたっけ?」「ううん、借りてきたんや。」「そっか。楽しんで。」「うんありがとう。」「またね。」「うんまた。」
びっくりするくらい、男友達とふつうに話せるようになった。こんな、たった一ヶ月半ほどで。もっと楽に生きてもいいのかな。生きていくって、難しいけど気楽なものだと、思えるようになりたい。
君と電話。1時間半。
たとえ会えなくても、君の声を聞けるなら、この先もきっと生きていける。
今日は『サラの鍵』と『灼熱の魂』
どちらも心を抉られるようなストーリーで、この組み合わせにするんじゃなかったと後悔した。特に『灼熱の魂』は結末が生理的に無理で、ほんとうに嫌な気持ちでいっぱいになった。なんでこんな映画つくったの、とさえ思った。争いの負の連鎖は悲劇しか生まない。『未来を生きる君たちへ』とは対照的に思える。『サラの鍵』はまだ優しさがあったけれど、それでも、ユダヤ人に対する迫害はいつも納得がいかないし、人が人を傷付ける行為を冷静に見ていられない。あのときの、サラの顔を忘れられない。
いつも、 どきっ とするようなタイミングで、君からメールが届く。
簡単に心がぐらついてしまう。
期待しない練習をたくさんしなくちゃいけない。
あれからどうなった?
って男友達からメールが届いた。
メールで書ききれそうになかったので、夜、電話をした。
あれから、私が連絡した男の子たちに言われたこと、してもらったことを話した。
そして、それについて私がどう思ったかも話した。
男友達が不意に、「今の話きいて思ったんやけど、○○は他人に期待しすぎなんとちがうかな。こういうふうに言ってくれるはずって思いすぎている感じがする。そういうの、違う答えが返ってきたときしんどいんちゃうかな。」図星すぎて、言葉が出てこなかった。「ーーーうん。それはなんとなく自分でもわかってた。でも、そうやって言われて改めてそうなんだろうなって思ったよ。私には、安心して愛されていると思える相手がいない。そういう気持ちが、いろんな人に期待しすぎるというのに繋がっている気がする。」
他人に期待しちゃいけないってこと、心に深く刻み込まないといけない
ざわざわする
頭かちわりたい
やなことばっか考えてしまう